言葉のもつ力
仕事柄いろんな人に会う機会があって、いろんなお仕事やその人の生き様なんかに関するお話を聞くことができて、とても幸せなことだなぁと思っている。
経営者のお話でよく出てくるのが、
「できるか、できないかじゃない。やるか、やらないかだ」
という言葉。
やらない・できない言い訳を探そうと思えばいくらでも出てくる。そんなことを考えている暇があるなら、どうやったらできるかを考え、少しずつでもいいから前へ進め。
それから、コーチングをやっているような人なんかがよく言っている
「起きたことは変えられない。それをどう捉え、行動に結びつけるかは自分次第」
という言葉。
わかる。
わかるんだけど、
なんか、引っかかる。
それが何なのかはまだうまく説明できないけど、全ては自分次第みたいな考えかたって、ともすると自己責任論に結びつかないだろうか、という危惧があるからかもしれない。
もちろんそうじゃない人もたくさんいると思うのだけど、言葉だけが先走ってしまうと、自分のことは自分のせい、他人のことは他人のせい、という風潮につながりはしないだろうか。
なんかちょっと怖い。
今あるものを磨き続けるということ
先日、ある経営者からこんな話を聞いた。
『中小企業は何かに特化しないといけない。何でもやる、という人は、何もできない。
店舗にしろサービスにしろ、広げたら広げるだけ薄まってしまう。深みがなくなる。
新しいものに手を出すと、そっちに目がいく。だからうちは新店舗は出さずに、今のお店を磨くことに力を入れている。
今あるものを徹底的に磨くことで、うちらしさが出る。』
ハッとさせられた。
私はよく、手帳やノートを買い替える。最後まで使い切らずに、気分を新しいものにするために、新しい手帳を買う。
当たり前だけど、新しい手帳を買ったくらいで変化が起こる訳がない。分かっていても、何かに行き詰まると、何か新しいものに手を出したくなる。
読書に飽きたら、英語の勉強をしてみたり。英語が嫌になったら、ランニングを始めてみたり。
結局、何も習慣になっていないし、何も身についていない。
ブログにしてもそうだ。
これまで何度、ブログを作っては続けられずまた新しいブログを作ってきたことか。
そうやってリセットする癖がついてしまうと、人間としての「粘り」がなくなってしまう気がする。
うまくいかない
先が見えない
そんな中でどれだけ粘れるか
希望を信じて努力を続けられるか
誰でもできること
でも
誰もがやっているわけではないこと
それを愚直にやり続けられる人
その理由をきちんと自分の中に持っている人
こういう人が「成功者」と呼ばれるのかな。
話を聞いていて、そう思った。
働くとは
「働く」って、どういうことだろう?
一時期よく考えていたこと。
お金のためだけに働くには、日本はあまりに豊かになりすぎた。
ただ今日を生きるためだけに働く時代は終わった。生まれた頃から衣食住が満ち足りている状態で生まれた世代は、働く意味をお金以外の何かに求める。
やりがいという名の元に、低賃金長時間労働を強いられる者もいる。
毎日一生懸命に働いても、衣食住を十分に満たすには至らない者もいる。
何かがおかしい、そう思うことがある。
普通に生きることが困難な時代、と言われることがある。
改めて、働くことの意味を問う。
お金、あるいは生活するための糧を得るための行動。
そして、誰かの役に立つという側面があることを忘れないようにしたい、そう思う。やりがいという言葉で置き換えられるのか、まだ分からないが、人はお金のためだけに働く訳ではない、そう信じている。
内向的な人間
少し前のだけど、この記事はすごく共感できた。
“コミュ力至上主義”に異議あり! 優れたリーダーが皆「内向的」な理由が明らかに | ログミー[o_O]人と接する機会の多い仕事だが、というか、そんな仕事に就いているからこそ、自分が内向的な人間だと感じることが多い。人と話す機会が多いのに加えて、周りに外向的な人間が多いせいだと思う。
ただ、内向的だからと言って人と接するのが嫌だという訳ではない。進んで人前に出て話をしたりするのが苦手なだけだ。
今の職場では内向的なタイプになるが、前の職場では外向的だったと思う。
環境によって変わる、相対的なものだ。
自分の仕事をつくるということ。
過去のある時期、「働き方」に関する本を読みあさっていた。確か、東日本大震災の後くらい。
今の仕事は、自分で仕事をつくるところから始まる。企画をつくって、企業に営業かけて協働先を見つけて、そこでようやく自分たちのやりたいことができる。でも、それもその過程で色々と内容が変化していくので、必ずしもやりたいこととイコールではない。
そんな経験、前職では決してなかった。仕事をつくる余地なんてなかった。
その代わり、仕事が無くなるという危機感もあまりなかった。
今、私は仕事をつくるということを改めて考えさせられている。
もう一度読み直そうかなと思っている本たち。
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ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
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年賀状について その2
前にこんなこと書いたけど
年賀状って - きっかけを生み出す場をつくるそもそも住所が分からない事案が多発しているという点を見落としていた。
個人情報保護が叫ばれるようになってからもう大分経った今では、小学生も名札を着けていなかったりする。名簿なんてもちろん配られないし(小学校の頃は連絡網があった気がする)、携帯を持つようになってからは家の電話番号を知る必要もなかった。
わざわざ年賀状を出すために住所を聞くのもめんどくさいし…聞かれた方も出さないといけないかな?と余計な気遣いが生まれたりもする。
他に住所を聞く必要が出てくるのって、結婚式の招待状を送る時くらいか。それすら郵便で送る必要があるのかは疑問だけど…。、
新年を迎えて、ハッとさせられた言葉。
明けましておめでとうございます。
1月1日の「今日のダーリン」にすごく良いことが書いてあったので、特に響いた部分を引用します。
新年といえば、まったく新しい気持ちでとかさ。
それはそれで、ひとつの考え方にすぎないと思ってね。
だって、ほんとにつながっているんだもの。
生きていれば汚れもつくし、ぼろにもなる。
それを、洗ったり繕ったり足したり引いたりしながら、
日々、次の日を迎えてるわけでしょう。
入れ替えやら、一掃やらの必要なときもあるでしょうが、
ふつうに生きているっていうのは、
修繕したり勉強したり力をつけたりくたびれたりだよ。
「はい、ここまでで精算して。ここから新たな出発だ!」
なんてことを、しょっちゅう言ってるのはおかしいよね。
新年を前にして、そういうことを思ってたものだから、
とにかく、「続いているんだよ、なんでも」ってことを、
しつこく意識してみたんです。
新年だからと言って何かがガラッと変わる訳ではなく、1日24時間は同じだし、12月31日から1月1日になるのも、1月1日から2日になるのも、時間としては同じ。
新しい年の始まりに興奮したりウキウキしたりするのは悪いことではないけど、その一方で何も変わらない日々というものを意識していても良いのかな、と思った2015年の元日でした。